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医学・医療の勉強で疾患の性差を学んだり、医療や介護の場で患者さんを紹介する際に「◯歳の男性/女性で~」と述べたりと、医療従事者であれば誰もが性別を意識しているはずです。
性差医療とは、性別特有の臓器以外でも男女の差を考慮する医療のことを指し、近年その重要性が注目されています。性差医療の概要や具体例、問題点などを解説します。
執筆者:三田 大介
性差医療とは
日本ではじめて「性差医療」の概念が紹介されたのは、1999年。第47回日本心臓病学会で、天野惠子医師により発表されました。天野医師は、その後の論文で性差医療を下記のように解説しています。
性差医療(gender-specific medicine)とは、
①男女比が圧倒的にどちらかに傾いている病態、
②発症率はほぼ同じでも、男女間で臨床的に差をみるもの、
③いまだ生理的、生物学的解明が男性または女性で遅れている病態、
④社会的な男女の地位と健康の関連などに関する研究を進め、その結果を疾病の診断、治療法、予防措置へ反映することを目的とした改革的医療
である。
天野惠子:性差医療と女性医師のワークライフバランス.JGHP 22(3):p.227より引用
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jjghp/22/3/22_227/_pdf
つまり性差医療は、男性の前立腺や女性の子宮および付属器のような「臓器」や、男性/女性ホルモンなどの「内分泌」に限定されるものではありません。
医療従事者であれば、臨床で性差を考慮した方がより良い診療につながることを実感する経験があるのではないでしょうか。性差医療は、医療をより効率的かつ質高くできる可能性を持っている概念なのです。
性差医療の歴史
性差医療の始まりは、「サリドマイド薬害事件」に遡ります。
サリドマイドは、1950年台末から60年台初めに世界十数カ国で販売された鎮静・催眠薬*1です。即効性があり持ち越し作用がなく、一度に大量に使用できるといったメリットから、当時人気の睡眠薬でしたが、のちに短肢症などの催奇形性が判明しました。
かつて流産防止薬として用いられたジエチルスチルベストロール(DES)も、妊娠中に投与すると女児に腟がんが発症するという重大な副作用がありました。
この2つの薬害事件を受けて、アメリカ食品医薬品局(FDA)は1977年、妊娠可能性のある女性を薬の治験に加えるのは好ましくないという通達を出しました。
治験に参加しなくなったことは、妊婦と胎児が未知の副作用に曝される可能性がなくなったということであり、一見良いことに見えます。しかし、女性が臨床研究から除外されることで、女性の健康に関するエビデンスの欠如へとつながったのです。
その後FDAは通達を取り消し、治験に女性を含めることに関するガイドラインを作るなど、アメリカで性差医療が発展することとなりました。
日本においては先述のとおり、1999年の日本心臓病学会で天野惠子医師により紹介されたことがきっかけとなりました。2010年、性差医療について述べた画期的なガイドラインとして『循環器領域における性差医療に関するガイドライン』が作成され、その後「日本性差医学・医療学会」が発足するなど、性差医療をめぐる活動は徐々に拡大しています。
小宮ひろみ:性差医療―性差とライフステージを意識した健康支援―.理学療法学 42(8):689-690,2015
日本での性差医療の実践と展望 ~天野惠子医師に聞く~|男女共同参画局
サリドマイド薬害事件の歴史と薬の催奇形性・先天異常に関する教育の重要性|厚生労働省・公益財団法人いしずえ(サリドマイド福祉センター)(*1)
多様性に配慮した循環器診療ガイドライン|日本循環器学会
日本性差医学・医療学会
ジェンダード・イノベーションとは
性差を分析しようとしているのは、医学だけではありません。近年は性差分析を研究や開発のプロセスに取り入れることで、新しい発見や技術革新を目指す「ジェンダード・イノベーション」という概念が注目されています。
たとえば、工学における例として「自動車の設計」があります。以前のアメリカでは、衝突実験で安全性を検証する際、男性の平均的な体格のダミー人形を使っていました。女性のダミー人形もありましたが、男性の人形を単に縮小しただけでした。
一般に男性よりも女性の方が、脊椎や首の特性から重傷を負いやすいのですが、実験で女性のダミー人形を使っていなかったことで、そうした傷害耐性をふまえることができていなかったのです。
一方で、体重も交通事故の死亡率・重症化率の性差に間接的に影響します。男性は女性より体重が重い傾向があり、この要素からは男性の方が高リスクになりやすいと言えます。
工学研究に携わる人がこういった事象を知っていれば、技術を通して課題解決を目指すことができます。
また、月経や更年期障害などの女性特有の悩みについて、先進技術を取り入れた製品・サービスで解決しようという取り組みが近年注目されています。「フェムテック」(FemaleとTechnologyを合わせた造語)と呼ばれるこの概念も、ジェンダード・イノベーションの一つです。
令和4年度商取引・サービス環境の適正化に係る事業(当事者参画型開発モデルの発展に向けた調査事業)成果報告書|PwCコンサルティング合同会社・経済産業省
ロンダ・シービンガー:ジェンダード・イノベーション―その由来と世界的動向(日本語訳).ジェンダー研究 25:19-35,2023
性差医療の具体例
男女で受療率が異なる疾患
男女で受療率(人口10万人対)の差が認められる疾患には以下のようなものがあります。
男性に多い疾患 | 悪性新生物(胃/肝/肝内胆管/気管/肺)、糖尿病、慢性閉塞性肺疾患(COPD)、慢性腎臓病(CKD)など |
---|---|
女性に多い疾患 | 悪性新生物(乳房)、血液・造血器疾患、免疫機構の障害、血管性認知症、アルツハイマー病、骨折など |
出典:厚生労働省「令和2年(2020)患者調査の概況」
https://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/kanja/20/index.html
"男女のどちらかに多い"という事実を知ることは、鑑別や診療の役に立ちます。しかし、たとえば骨粗鬆症が女性の病気だと思い込まれていたことで、男性に対する診断や治療が遅れる事態も起こりました。あくまで傾向の一つととらえ、鑑別においては"決めつけない心がけ"も重要です。
令和2年(2020)患者調査の概況|厚生労働省
男女で異なる症状・経過
同じ疾患でも、男女で症状や経過が異なることがあります。
たとえば心臓疾患の場合、発作後1年以内の死亡率は男性で25%、女性で38%*2と開きがあります。女性は男性と比べて発症から受診までの時間が長く、胸痛や心電図変化といった特徴的なエピソードがないために発見が遅くなる傾向も、背景にはあると考えられます。
薬物動態の研究では、吸収・分布・代謝・排泄という、薬剤が投与されて体外に出るまでのすべての過程で性差が確認されています*3。副作用の頻度が異なる場合もあり、治療においても性差を意識することは有用と言えます。
WOMEN AND HEART DISEASE FACTS |Women's Heart Foundation(*2)
佐藤洋美・上野光一:薬物代謝における性差.ファルマシア 47(3):218-222,2011(*3)
社会生活との関連
健康には社会的な要因が関わることが知られていますが、ここにも考慮すべき性差があります。
たとえば単身赴任をしている人は、高血圧や脂質異常、ストレスによるいら立ちや不安が大きいことが知られています。日本の単身赴任者の割合(2022年)は、男性は2.1%、女性は1.0%です*4。男性の方が人数が多いため、単身赴任の健康への影響に関する研究も男性を中心に行われています。
同じく労働に関わるものとして、転倒災害は7:10で女性が多く*5、過労死(脳・心臓疾患)の請求件数は男性が女性の6倍多い、といった性差が報告されています。「なぜ、こうした性差があるのか?」という視点が重要であり、ジェンダード・イノベーションにつながります。
ユースフル労働統計2023―労働統計加工指標集―|労働政策研究・研修機構(*4)
平賀裕之ほか:単身赴任と生活習慣病.心臓 38(5):437-442,2006
森山葉子ほか:単身赴任者と家族同居者における生活習慣,ストレス状況および健診結果の比較―MYヘルスアップ研究から―.産業衛生学雑誌 54:22-28,2012
令和4年労働災害発生状況の分析等|厚生労働省(*5)
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SDH(健康の社会的決定要因)とは?医師が知っておきたいポイントを解説
日常診療における性差医療の重要性
患者さんが悩んでいるとき、医師として性差医療を知っておけば、解決への糸口をつかめるかもしれません。自身で解決できずとも、解決へのアプローチを知っている人につなぐことで、患者さんの転帰が良くなる可能性があります。
今まで性差を意識することがなかった疾患や治療にも、実は性差による特性が隠れていた、ということもあるでしょう。論文や研究発表を見聞きする際はインパクトのある結果に目が行きがちですが、研究参加者の男女比やその検討法について考察することで、より深く論文を読み(=批判的吟味)、臨床への適応を考慮するというEBMの実践にもつながります。
性差医療と臓器別医療は縦糸と横糸の関係にあり*6、決して競合するものではありません。性差医療の視点を取り入れることで、診療の手札が増え、国民の健康に寄与する医療へとつながるのです。
大内尉義:性差医療の考え方と課題―老年医学の立場から―.学術の動向 2006年11月号:40-45,2006(*6)
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性差医療の現状と問題点
性差医療を扱う学会には、先に紹介した日本性差医学・医療学会のほか、日本メンズヘルス医学会、日本女性医学学会などがあります。それぞれ学術集会を開催しており、性差医療の普及と発展を目指しています。
臨床においては、全国に女性外来や男性外来が広まってきており、性差医療に対するニーズの現れとも言えるでしょう。日本の性差医療の第一人者である天野医師が理事長を務める「性差医療情報ネットワーク」では、外来一覧や各種活動を見ることができます。
しかし、性差医療には問題点や課題もあります。一つは、認知度がまだまだ低いことです。女性2,000人を対象にしたアンケート調査では、「性差に配慮した医療や女性向けのヘルスケア商品は必要」と考える女性が8割もいるにも関わらず、「性差医療」という言葉を知っている人は、わずか1割未満でした*7。
普及しつつある性差外来も、決して十分な数があるわけではありません。外来診療には時間がかかるため、その分のコストが大きくなります。今後は収益性という観点も必要となるでしょう。
日本メンズヘルス医学会
日本女性医学学会
性差医療情報ネットワーク
【ジェンダード・イノベーションに関する調査】「性差医療」の言葉の認知は1割未満も、「性差に配慮した医療や女性向けのヘルスケア商品は必要」と考える女性は8割(20〜90代)(株式会社ネオマーケティング/ウーマンズ 2022年2月4日プレスリリース)|PR TIMES(*7)
まとめ
性差医療の概要について解説しました。性差は臓器やホルモンの違いだけでなく、生活習慣病や骨粗鬆症など身近な疾患にも関わっており、性差医療の概念を通して疾患の診断をしやすく、より良い治療やケアにつなげることができる可能性があります。ジェンダード・イノベーションも含めて発展途上にある分野であり、今後も継続して情報を集めていきたいですね。
執筆者:三田 大介
理学療法士から再受験し、現在はリハビリテーション科医師として病院勤務。より多くの人に正しい医療知識を届けたいとライター活動を開始。医師、理学療法士の両方の視点を活かしながら、企業などのオウンドメディアを中心に医療・健康に関する記事を執筆。
▶X(旧Twitter)|@sanda_igaku
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