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医師の皆さん、DOHaD(ドーハッド)という言葉をご存知でしょうか。当然知っている、研究に携わっているという方もいれば、どう読めば良いかわからないという方もいらっしゃるかと思います。
DOHaDはさまざまな疾病の原因が胎児期や出生後早期にあるとする考え方で、今大きな注目を集めています。その概要はDOHaD学説、DOHaD研究、DOHaD仮説などと呼ばれ、国内外で活発な研究の対象となっています。
この記事では、DOHaD学説が疾病の発症をどのように説明しているのか、そのメカニズムを含めて紹介します。
執筆者:Dr.Ma
DOHaDとは
DOHaDは Developmental Origins of Health and Disease の略で、「将来の健康や特定の病気へのかかりやすさは、胎児期や生後早期の環境の影響を強く受けて決定される」という概念です。
一般に、疾病へのかかりやすさは「遺伝要因」と「環境要因」に起因すると考えられています。持って生まれた遺伝情報と、長く続く生活習慣などの環境が影響するという考え方です。
一方、DOHaDは「胎児期や生後早期の環境と、その後の環境との適合の程度」が影響するという考え方です。子どもには環境に適応した体質の変化(predictive adaptive response)が起こり、その後に環境の変化が起こると、前の環境に合わせて変化した体質が新たな環境に適応しきれず、疾病にかかりやすくなるという説です。発達過程における介入が将来の疾病予防につながる可能性があるという点で、大きな注目を集めています。
疾病の発症前に予防的な治療を行う医療を「先制医療」と呼びますが、この観点でもDOHaD学説が重要です。胎生期から生後早期に介入することで、将来的に疾病を「発症してから治す」のではなく「発症を予防する」ことができるようになるかもしれません。
厚生労働省も、『健康日本21(第二次)』の最終報告書の中でDOHaDについてふみ込んだ記載をしています(「DOHaDの概念が注目される中、胎児期からの生活習慣病予防の視点からも、成育期サイクルにおける健康増進と生活習慣の獲得は成人期、高齢期の健康の基盤として重要である」*1)。DOHaDは産婦人科医や新生児・小児科医だけでなく、成人期・高齢期の疾病に関わるすべての医師が身に付けておくべき知識と言えるでしょう。
健康日本21(第二次)最終評価報告書を公表します|厚生労働省
第3章「最終評価の結果」(p.172 次世代の健康)(*1)
▼「健康日本21」に関する詳しい記事はこちら「健康日本21」とは?2024年度に始まる第三次目標についても解説
DOHaDと疾病の関連
DOHaDは低出生体重と絡めて説明されることが多く、そこからさまざまな疾病との関連も指摘されています。
低出生体重との関係が明確な疾病には、次のようなものがあります。
- 高血圧
- 冠動脈疾患
- 2型糖尿病
- 脳梗塞
- 脂質代謝異常
- 血液凝固能の亢進
ほかにも慢性閉塞性肺疾患(COPD)やうつ病、統合失調症、行動異常などとの関連が想定されています。
ここでは、DOHaDと生活習慣病(代謝性疾患)、および精神疾患に関する学説について見ていきましょう。
DOHaDと生活習慣病(代謝性疾患)
母体にやせや低栄養があると、胎児への栄養供給が低下します。必要な栄養が十分に供給されない状況が続くと、栄養が中枢神経の成長に集中的に使用されるため、体の発育が制限されて低出生体重となります。
胎児の体はエネルギーが足りない状況に適応するため、エネルギー代謝調節や内分泌調節などを通じて、エネルギーの消費を抑えて体内に溜め込む「エネルギー倹約型」に変化します。この体質は生後も持続するため、乳児期や幼児期以降にエネルギーの過剰摂取や運動不足などの要因が加わると、肥満や高血圧、耐糖能異常といった生活習慣病を発症しやすくなるのです(後述の「DOHaD学説の歴史」でもふれます)。
発育制限は体重だけでなく、臓器の器官形成にも影響します。たとえば腎臓の発育が不十分だと、ネフロン数が少ないまま成長することで将来の高血圧や腎臓病のリスクを上昇させます。膵臓のベータ細胞が少ないと、2型糖尿病のリスクが高くなります。
DOHaDと精神疾患
DOHaD学説は、精神疾患と母体低栄養などの関連についても触れています。第二次世界大戦中のオランダ飢饉や1960年前後に中国で起きた大飢饉の際に母親の胎内にいた子どもは、成人に達した際に通常の約2倍の確率で統合失調症を発症したことが報告されています。低栄養は遺伝子発現を制御する「DNAメチル化」に影響を与えるため、これが脳の発達に影響し、統合失調症に対する脆弱性につながる、という機序が推定されています。
また、世界的に増加傾向にある発達障害(自閉症スペクトラム、注意欠如・多動症(ADHD)など)との関連も指摘されています。母体の低栄養や環境化学物質への曝露、強い精神的ストレスが子どもの脳機能形成に影響を与えるというものです。
原因がはっきりしない精神疾患も多い中、DOHaD学説の視点が重要性を増していると言えそうです。
福岡秀興・佐田文宏:発達期環境に起因する疾患素因の形成機構―DOHaDの視点から―.日衛誌 71(3):185-187,2016
前川素子 ほか:DOHaD(Developmental Origins of Health and Disease)仮説からみた統合失調症.日本生物学的精神医学会誌 23(2):103-107,2012
DOHaD学説の歴史
DOHaD学説は、疫学研究から始まりました。1976年、Ravelliらが「オランダ飢饉下で低栄養にさらされた胎児が、成長後に高頻度に肥満を呈した」ことを報告しました。さらに1980年代から1990年代にかけては、Barkerらが「低出生体重児は成人期にメタボリックシンドロームを発症するリスクが高い」という調査結果を相次いで報告しました。これらをもとに提唱されたのが「胎児プログラミング仮説」です。
胎児プログラミング仮説では、以下の説明がなされます。
- 子宮内で低栄養にさらされた胎児はエネルギー倹約型に体質が変化する
- 出生後、栄養環境が改善することで相対的に過栄養となり、肥満や糖尿病などになりやすい
参考:昭和大学 DOHaD班 webサイト
https://www10.showa-u.ac.jp/~dohad/explanation.html
しかし、発達過程の環境が影響したと考えられる事例は、低栄養だけに限りません。その後の研究で、母体に対する化学物質への曝露や強い精神的ストレスなども指摘されるようになります。発症する疾病も精神疾患など多岐にわたるため、「胎児プログラミング仮説」ですべてを説明するのは難しいと考えられるようになりました。
そこで、仮説をより一般化したのが「DOHaD学説」です。先に述べたとおり、「将来の健康や特定の病気へのかかりやすさは、胎児期や生後早期の環境の影響を強く受けて決定される」という概念であり、これが受け入れられるようになりました。
DOHaD(Developmental Origins of Health and Disease)仮説 ―我が国の周産期の現状と今後の課題―|日本産婦人科医会(宮﨑亮一郎)
DOHaDとは|昭和大学 DOHaD班
日本におけるDOHaD学説の最近の動向
日本では、出産年齢の上昇や、女性のやせ傾向などが原因で、低出生体重児が増加傾向にあります。また、喘息やアトピーなど、子どものアレルギー性疾患が増加しており、発育期における環境要因との関連が指摘されています。改めて発育期の健康について考える必要性が認識され、DOHaD学説への注目が高まっています。
2012年には日本DOHaD学会が設立されました。以降、毎年学術集会が開かれているほか、機関誌『DOHaD研究』も2023年10月現在、11巻まで発行されています。
そのほか、環境省が行う10万人規模の「エコチル調査」のような、大規模な疫学調査も複数行われるなど、データの収集が続いています。
DOHaDのメカニズム
DOHaD学説では、胎児期や生後早期の環境がどのように成人期・高齢期の疾病発症につながるのか、いくつかのメカニズムが想定され、研究が進められています。ここでは多くの研究者の共通認識となっている「エピジェネティクス」と、特徴的な視点と言える「腸内細菌叢」との関連をピックアップして紹介します。
DOHaDとエピジェネティクス
エピジェネティクスとは、「DNAの塩基配列は変えずに、あとから加わった修飾が遺伝子機能を調節する制御機構」*2のことです。DOHaD学説では、持って生まれたDNAの配列は変わらずとも、遺伝子には「エピジェネティックな変化」が起きていると考えます。
「エピジェネティックな変化」の主要な制御機構の一つが「DNAメチル化」です。シトシン-グアニン配列において、シトシンにメチル基(-CH3)が付加されることを言い、これが遺伝子発現に関係することがわかっています。オランダ飢餓を経験した胎児でIGF2(インスリン様成長因子2遺伝子)のDNAメチル化が低下したという報告があり*3、これがDOHaD学説の根拠の一つになっています。
胎内でエピジェネティックな変化が起きると、その性質(体質)は生後も引き継がれます。低栄養が改善されるなど、胎内の環境と生後の環境が異なる場合、変化した体質は環境に適応するのが難しくなり、疾病を発症するリスクを抱えることになります。
また、遺伝子に影響を及ぼしているということは、その次の子どもにもその性質が引き継がれる可能性があり、この点も重要と言えます。
エピジェネティクス|国立環境研究所(*2)
DOHaD(Developmental Origins of Health and Disease)仮説 ―我が国の周産期の現状と今後の課題―|日本産婦人科医会(宮﨑亮一郎)(*3)
DOHaDと腸内細菌叢
近年、腸内細菌叢に関する研究が急速に発展しています。腸内細菌は栄養の代謝だけでなく、腸粘膜の防御機構や免疫調節にも関与するなど、ヒトの健康と疾病に影響を与える大きな要因であると考えられています。
腸内細菌叢の形成にはさまざまな要因が関係しますが、出生時の環境や母体の健康もその一つです。まず産道を通る際に細菌に晒され、多様な腸内細菌叢を形成します(帝王切開では細菌曝露の機会が減少し、腸内細菌叢に偏りが起きる可能性があります)。出生後もさまざまな細菌への曝露を通して、徐々に腸内細菌叢が成熟していきます。腸に定着した細菌は、免疫の発達のほか、腸管が構造的・機能的に発達していく上でも重要な役割を果たすと考えられています。
早産児や低出生体重児には抗菌薬が投与されることがありますが、これも腸内細菌叢に影響を与えます。また、母体の肥満や妊娠中の急な体重増加は母体の腸内細菌の異常を起こし、子どもの腸内細菌叢の形成にも影響を与えます。
このようにDOHaD学説は子どもの腸内細菌叢が形成されていくメカニズムを根拠の一つとして、理解を深めることもできるのです。
まとめ
今回はDOHaD学説について、歴史やメカニズムを含めて詳しく紹介しました。DOHaDの考え方をふまえると、成人や高齢の方を診療する科でも治療の対象となる疾病が変わってくる可能性があります。今後のDOHaD研究の発展に注目しましょう。
執筆者:Dr.Ma
2006年に医師免許、2016年に医学博士を取得。大学院時代も含めて一貫して臨床に従事した。現在も整形外科専門医として急性期病院で年間150件の手術を執刀する。知識が専門領域に偏ることを実感し、医学知識と医療情勢の学び直し、リスキリングを目的に医療記事執筆を開始した。これまでに執筆した医療記事は300を超える。
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