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医師の皆さん、「スティグマ」という言葉をご存知でしょうか。日本語では「差別」や「偏見」に対応する言葉として用いられますが、医療業界では患者さんに負のイメージが抱かれることを指し、とくに糖尿病領域で解決に向けた議論が進んでいます。
この記事ではスティグマの概要や議論の現状、診療でスティグマを付与しないための注意点について解説します。
執筆者:竹内 想
スティグマとは
スティグマは、ギリシャ語の「聖痕」(イエス・キリストが受けた傷が聖者の身体に現れたもので奇跡の象徴とされる)や「烙印」に由来する単語です。日本語では、身体的な烙印ではなく「差別」や「偏見」に対応する言葉として用いられています。「個人の持つ特徴が周囲から否定的な意味付けをされ、不当な扱いを受けること」*1です。
医療業界で「スティグマ」という言葉が使われる際は、患者さんに対する差別や偏見を意味します。たとえば「あの人は自己管理がしっかりできないから糖尿病になったのだ」「あの人は認知症だから話しても無駄だ」などは、医療に関する典型的なスティグマです。
スティグマの歴史
患者さんがスティグマの対象となるケースは、古くからしばしば起こってきました。ハンセン病や黒死病(腺ペスト)などの感染症、精神疾患・てんかんなどです。身体や行動的特徴、伝染性、あるいは道徳的な意味付けなどによって、社会から分離される対象となりました。黒死病で「神罰」という解釈が与えられたことなどは、医学的に全く妥当ではない、歪んだ社会的判断が背景にあります。
精神疾患に対するスティグマ
精神疾患は幻覚や妄想などの特徴的症状から、奇妙な印象を与えやすい疾患でした。とくに20世紀半ばまでは薬物療法がなく「不治の病」とも考えられる中で、精神疾患に対して「おそろしい」「不道徳」といった誤解が形成されてきたと考えられています。
AIDSに対するスティグマ
AIDS(後天性免疫不全症候群)はHIVウイルスの感染が原因であり、性行為や血液を介して感染することが知られるようになりましたが、AIDS発見の契機は男性同性愛者に原因不明の肺炎(ニューモシスチス肺炎)が流行したことでした。HIVウイルスが同定されるまで、AIDSはGay-related immune deficiencyと呼ばれる時期もあったとされており(この名称だと、同性愛者間でしか広がらないという誤解を与えます)、これはスティグマの典型例と言えるでしょう。
糖尿病に対するスティグマ
近年は、糖尿病領域でスティグマに関する議論が加速しています。現在は糖尿病の予後は大きく改善していますが、過去には治療法が限られ血糖管理不良による昏睡や死亡などがあったことから、糖尿病にはその頃の社会的イメージが残ってしまっているのです。
糖尿病の治療目標達成のために看過できない問題として認識されるようになり、日本糖尿病学会のガイドライン『糖尿病治療ガイド』でも取り上げられるなど、スティグマ解消に向けた取り組みが重要視されています。
スティグマが生じる理由
なぜスティグマは生じてしまうのでしょうか。糖尿病を例に考えてみましょう。
近年、糖尿病治療は大きく発展し、良好な血糖管理をすれば健常者と変わらない生活を送ることができるようになりました。しかし、今でも古い情報に基づく判断で患者さんが不利益を被ることがあると言います。疾患の現状について十分な理解が進んでいないことが、スティグマが生じる背景に存在すると考えられます。
たとえば、「糖尿病の患者さんは寿命が短い」というイメージを持たれることがあります。そのようなイメージは、糖尿病の患者数が増加した昭和40~50年代(高度成長期)に形成されたものと考えられます。この時代は治療薬がインスリンとスルホニル尿素薬に限られており(インスリンの自己注射は認められていませんでした)、血糖管理不良による昏睡や合併症による死亡が頻発していました。
しかし、時代と共に糖尿病治療は発展し、糖尿病患者さんの予後は大きく改善しています。2019年の調査では40歳時の平均余命では、日本人一般と日本人糖尿病患者の平均余命に大きな差はない可能性が示されています*2。
AIDSにおいても、原因が同定されていなかった時期に患者数が急増したことや、患者集団に偏りがあったこと(ハイチ人・同性愛者・血友病患者・ヘロイン使用者)などが原因で、差別や偏見が広まりました。糖尿病と同様に、広がった偏見をなくすためには長い時間が必要となります。正しい認識を広め、誤ったレッテルやイメージを払拭することが、スティグマの解消には何より重要と言えるでしょう。
スティグマの分類
糖尿病領域において、スティグマは大きく以下の3つに分けて議論されています。
②乖離的スティグマ
③自己スティグマ
この3つは、それぞれ「経験的スティグマ」(実際の経験)と「予期的スティグマ」(スティグマへの恐れ)に分類されます。つまり3×2で6通りのスティグマが存在することになります。日本糖尿病協会が提示している具体例とともに見ていきましょう。
日本糖尿病協会HP掲載資料p.3より
https://www.nittokyo.or.jp/uploads/files/advocacy_summary.pdf
(https://www.nittokyo.or.jp/modules/about/index.php?content_id=46)
①社会的スティグマ
社会的スティグマは、社会的規範からの逸脱やレッテルを意味します。
この場合の経験的スティグマは「生命保険に加入できなかった」「住宅ローンを断られた」などです。一方、予期的スティグマは「糖尿病のことを上司・同僚に言えない」などがあります。
②乖離的スティグマ
乖離的スティグマは、ステレオタイプからの逸脱を意味します。
経験的スティグマは「間食を咎められた」「インスリン注射を拒否すると叱責された」、予期的スティグマは「隠れて間食をしている」「しぶしぶインスリン注射をしている」などです。
③自己スティグマ
自己スティグマ(セルフスティグマ)は、自尊心の低下を意味します。
経験的スティグマは「病名や診療科名を快く思えない」「医療者につい謝ってしまう」などがあります。たとえば糖尿病の場合、病名に「尿」という言葉を含んでおり、快く思わない方がいます。予期的スティグマは「宴会や会合に行けない」などです。
こうして具体例を並べると、糖尿病におけるスティグマがどういったものを指すのか、ご理解いただけるかと思います。スティグマは、家族や同僚・社会・医療従事者など、さまざまな方面から生じます。スティグマを放置すると、糖尿病の患者さんが社会活動で不利益を被るだけでなく、通院や治療を避けるようになってしまうという弊害をもたらすため、患者さんが糖尿病であることを隠さずにいられる社会を作っていく必要があります。
スティグマとアドボカシー活動
糖尿病患者さんのスティグマを解消するため、近年「アドボカシー」(アドボカシー活動)が注目されています。
アドボカシーとは、「(広義には)公共政策や世論、人々の意識や行動などに一定の影響を与えるために、政府や社会に対して行われる団体の働きかけ」*3であり、社会的に弱い立場にある人々の権利を守るために組織や行政、立法などに政策提言を行うことや、社会課題などの啓蒙のためにメディアやイベントを通して社会に広く訴えることなどを指します。
糖尿病領域におけるアドボカシーの目標は、「糖尿病に関わるスティグマや健康格差を改善し、適切な治療を促進し、最終的には糖尿病患者が糖尿病ではない人と変わらない良質な人生を全うするために、個人、コミュニティ、日本全国、世界と様々なレベルで啓発と教育を促進し、糖尿病研究や治療の発展のための人材や財源を確保し、糖尿病患者が不利益を被らないよう政策変更の提言を推進していくこと」*4,5とされています。
坂本治也:政府への財政的依存と市民社会のアドボカシー―政府の自立性と逆U字型関係に着目した新しい理論枠組み―.The Nonprofit Review 17(1):23-37,2017(*3)
田中永昭:どうして糖尿病患者さんのアドボカシーが注目されているのか.日本糖尿病教育・看護学会誌 26(1):85-89,2022(*4)
Hilliard, M.E.,et al.:From Individuals to International Policy: Achievements and Ongoing Needs in Diabetes Advocacy.Curr Diab Rep 15(9):59,2015(*5)
松井真理子:市民社会のアドボカシーの論点整理―「社会を変える」の実体化を目指して―.四日市大学論集 30(1):119-132,2017
日本糖尿病学会・日本糖尿病協会合同 アドボカシー活動|日本糖尿病協会
スティグマを付与しないためにできること
社会でアドボカシー活動を進めていくことも非常に重要ではありますが、個人で取り組む上では難しい点があるのも事実です。日ごろの診療でスティグマを付与しないために、私たち医師一人ひとりができることには、何があるでしょうか。
まずは、診療方針に患者さんの意向を取り入れる意志が重要です。以下のような心がけをするだけでも、患者さんに与える印象は変わります。
- 相手への尊厳を忘れずに接する
- 否定や禁止の言葉を用いずに前向きな言葉を選ぶ
例)「完食してはいけない」→「週に1回80 kcalのおやつを食べる」
「運動しましょう」→「どのような活動ならできそうですか?」
田中永昭「どうして糖尿病患者さんのアドボカシーが注目されているのか」より引用
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jaden/26/1/26_85/_pdf
私たち医師が何気なく使う言葉に注意することで、目の前の患者さん、ひいては社会全体のスティグマ解消へつながるはずです。日本糖尿病協会は、糖尿病のスティグマ払拭を目指す医療現場のアクションとして、患者さんに対応する際の"ことば"を見直す活動を進めています。
具体的には下記の言い換えが提唱されています。資料には理由も添えられていますので、確認してみてください。
避けるべきことば | 適切なことば(案) |
---|---|
糖尿 | 糖尿病 |
糖尿病患者 | 糖尿病のある人 |
療養 | 治療、医療 など |
療養指導 | 支援、サポート、教育 など |
血糖コントロール | 血糖管理、マネジメント |
出典:日本糖尿病協会HP「スティグマを生じやすい糖尿病医療用語と代替案」
https://www.nittokyo.or.jp/uploads/files/wordreplacement_advocacy.pdf
まとめ
今回はスティグマの概要や、スティグマを付与しないためにできることについて解説してきました。スティグマを完全になくすには、社会全体の環境整備が必要ですが、個人単位でできることもあります。医療従事者の何気ない言葉からスティグマが生じ、患者さんの不利益につながる恐れもあります。スティグマについて理解を深めることで、Do No Harmの実践にも役立つでしょう。
執筆者:竹内 想
大学卒業後、市中病院での初期研修や大学院を経て現在は主に皮膚科医として勤務中。
自身の経験を活かして医学生〜初期研修医に向けての記事作成や、皮膚科関連のWEB記事監修/執筆を行っている。
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