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がんは日本人の2人に1人がかかる疾患です。手術や放射線療法、薬物療法、早期診断技術などの発展により、がん患者さんの5年生存率は飛躍的に改善してきました。がんは、もはや不治の病ではないと謳われることもあるくらいです。
しかし、がんは1981年以降、日本人の死因の第1位を占めており(2021年人口動態統計)、日本の国民病と呼ばれる疾患であることに変わりはありません。そのがんに対する新しい治療アプローチとして注目されているのが、がんのゲノム情報を活用する医療(以下、がんゲノム医療)です。2019年6月に一部が保険適用となり、実用化されています。がんゲノム医療がもたらす新たな薬物療法は、がんの治療成績をさらに向上させると期待されています。
この記事では、がんゲノム医療の現状と課題、最新の取り組み事例などを紹介します。
執筆者:Dr.Ma
がんゲノム医療とは
がんゲノム医療とは、がんのゲノム情報をがん組織や血液(リキッドバイオプシー)から採取・解析し、その情報に基づいて診断や治療を行う医療のことです。2018年に閣議決定された「第3期がん対策推進基本計画」で取り組むべき施策として挙げられ、体制の整備や構築が推進されています。
がんに対する医療の発展
がんに対する標準治療には、主に「手術」「放射線療法」「薬物療法」があります。
がんに対して世界で初めて行われた手術は胃がんの症例で、1881年のことでした。放射線療法は1900年、皮膚がんに対して行われたとされています。これに対して薬物療法は比較的歴史が浅く、始まりは1950年代ごろとされていますが、近年急速な発展を遂げています。
当初から薬物療法に用いられているのはいわゆる「抗がん剤」で、がんの細胞を攻撃するものの、正常な細胞にも障害を起こすことがあるため、さまざまな副作用が問題となります。
1980年代にはホルモン剤やインターフェロン(サイトカイン)が用いられるようになり、1990年代には分子標的薬が登場します。分子標的薬は、がん細胞の増殖に関わる分子やたんぱく質などを標的とするため、がん細胞を選択的に攻撃することができます。
分子標的薬の登場と発展により、薬剤の効果を予測する「コンパニオン診断」という検査が行われるようになりました。がん細胞に対して遺伝子検査を行い、標的となる物質を作る遺伝子変化がないかどうか調べる検査です。これが「遺伝子変化に対応した治療」という考え方の始まりと言えます。
2010年代に入ると、免疫チェックポイント阻害薬が実用化されます。がんによる免疫抑制作用を阻害することで、がんに対して自身の免疫が働くよう作用する薬剤です。がん細胞を直接攻撃するわけではない新たな薬剤であり、高い治療効果で大きな注目を集めました。作用機序を見出した本庶佑先生が2018年にノーベル生理学・医学賞を受賞されたことでも話題になりました。
コンパニオン診断の概要と今後の展望について
がんゲノム医療が注目される理由
分子標的薬や免疫チェックポイント阻害薬が普及したことで、同じ部位のがんでも治療効果に差があることが明らかになってきました。一方、乳がんの治療薬が胃がんや大腸がんに効果を示すなど、部位によらない効果を持つ薬剤の存在も報告されます。
こうした事例で遺伝子検査を詳しく行うと、治療薬が高い効果を示す症例には共通の遺伝子変化があることがわかりました。それまで、がんの薬物治療は部位ごとに分けて考えられてきましたが、部位や臓器を超えて、それぞれのがんが持つ遺伝子変化が治療選択の根拠になるという認識が広まりました。
こうした流れを背景に、がんの遺伝子変化に準じた診断や治療を行う「がんゲノム医療」が注目されるようになったのです。
がん遺伝子パネル検査とは
遺伝子検査には、多くの時間と手間がかかります。一つ一つの遺伝子を調べる従来の方法では、治療法にたどり着くまでに長い期間を要する可能性があります。そこで2018年に薬事承認されたのが、がん遺伝子パネル検査です。
がん遺伝子パネル検査では、「次世代シークエンサー」と呼ばれる機器を使用することで複数の遺伝子変化を同時に調べることができます。がんが見つかると、組織や血液を採取し、がん遺伝子パネル検査で遺伝子変化を同定します。その結果をふまえて薬剤選択をする、という治療法が現実のものとなるのです。
がん遺伝子パネル検査は2019年6月に保険適用となり、実用化されています。ただし保険適用となるには標準治療がない、または終了しているなどいくつかの条件をクリアする必要があります(後述)。
がんゲノム医療に期待される役割とは
プレシジョンメディシン(精密医療)
「プレシジョンメディシン」(precision medicine)という用語は、2011年にアメリカの国立研究評議会が遺伝情報に基づく病気の分類において使用し、注目されるようになりました。日本語では「精密医療」や「緻密医療」と訳されます。
同じ部位にできたがんでも、個人によってその性質は異なります。がんの性質の個人差に対応した治療を行うのが、プレシジョンメディシンです。個人に合った、個別化された医療である上に、治療自体が精密なため高い効果を見込めます。
オーダーメード医療、テーラーメード医療といった言葉があるように、画一的な治療ではなく、個人ごとに最良の医療を提供することが、がんゲノム医療には期待されているのです。
ゲノム情報の解析による研究推進
がんゲノム医療によって得られるゲノム情報は、がん医療において非常に重要なデータになります。得られたデータを活用するため、2018年、国立がん研究センター内に「がんゲノム情報管理センター」(Center for Cancer Genomics and Advanced Therapeutics:C-CAT、シーキャット)が設置されました。患者さんの同意がある場合、遺伝子解析データや臨床情報がC-CATに提出されます。
C-CATは厳密なデータ管理によって個人情報を保護し、大学や企業の研究開発の基盤を提供する役割を担っています。C-CATから提供されるゲノム情報に基づいて、創薬の研究開発が加速することが期待されています。
がんゲノム医療に関する制度と課題
がんゲノム医療を実施できる医療機関と保険適用条件
保険診療としてがん遺伝子パネル検査を実施できるのは、国が指定した医療機関です。2023年9月1日時点では、全国で13カ所の「がんゲノム医療中核拠点病院」、32カ所の「がんゲノム医療拠点病院」、そして207カ所の「がんゲノム医療連携病院」が指定されています。
中核拠点病院や拠点病院では、さまざまな専門家が集まる「エキスパートパネル」という会議を開き、適切な薬剤を推奨することができます。連携病院では独自のエキスパートパネルを開くことはできませんが、中核拠点病院や拠点病院と連携して患者さんへの説明を行います。
保険を適用するためには、患者さん側に次のような条件があります。
- 標準治療がない固形がんの患者さん
- 局所進行もしくは転移が認められ、標準治療が終了となった固形がんの患者さん(終了が見込まれる場合を含む)
- 全身状態および臓器機能等から、検査施行後に化学療法の適応となる可能性が高いと判断される患者さん
参考:厚生労働省第415回中央社会保険医療協議会総会資料「医療機器の保険適用について」(2019年5月)および国立がん研究センター中央病院webサイト
https://www.mhlw.go.jp/content/12404000/000513115.pdf
https://www.ncc.go.jp/jp/ncch/genome/050/index.html
血液がんの患者さんや、全身状態が悪く薬物療法の継続が困難な患者さんは、保険診療としてがん遺伝子パネル検査を受けることはできません。自由診療としてがん遺伝子パネル検査を行っている医療機関はありますが、自己負担が多額になることなどに注意が必要です。
がんゲノム医療の現状と課題
厚生労働省の2022年時点のデータによれば、がん遺伝子パネル検査は全国で年間約12,000件実施されています。がんと新たに診断される人は年間約100万人ですから、検査対象は1%程度です。
また、がん遺伝子パネル検査を行い、エキスパートパネルの推奨薬剤で治療が行われたのは、約12,000件中830症例。到達状況は約7%となっています。
つまり、がん遺伝子パネル検査の対象となる患者さんの割合、検査を行った後治療に到達する患者さんの割合、どちらも高い数値とは言えない状況です。
がん遺伝子パネル検査が普及するためには、次のような課題があります。
①保険適用条件のハードルが高い
保険適用の条件である「標準治療がない」または「標準治療が終了となった」患者さんは、すでに治療期間が長くなっており、体力の低下などから追加の治療を検討できない状況であることが少なくありません。その場合、がん遺伝子パネル検査の対象からは外れてしまいます。
②エキスパートパネルへの大きな負担と、医療機関連携が難しい地域がある
現在は限られた医療機関でのみエキスパートパネルを実施するため、症例が集中し、エキスパートパネルに大きな負担がかかっています。また、拠点病院や連携病院に指定される医療機関は少なく、県内に2カ所程度しかない地域もあります。そのため医療機関同士の連携が必須であり、思うように連携が取れないと検査そのものが進まないという事態になります。
③費用が高い
がん遺伝子パネル検査の費用は、保険診療にかかる検査に限っても56万円です。3割負担で16万8,000円、1割負担で56,000円の自己負担となります(高額療養費の対象となり、この額を下回る可能性もあります)。高額な費用は、検査が普及することの一つの障壁になり得ます。
がんゲノム医療中核拠点病院等の指定要件について|厚生労働省 第4回がんゲノム医療中核拠点病院等の指定要件に関するワーキンググループ(令和4年7月)
城田英和:連携の課題―がんゲノム医療施設問の連携の課題―.癌と化学療法 49(9):997-999,2022
遺伝子検査について|国立がん研究センター中央病院
がんゲノム医療の取り組み事例
がんゲノム医療中核拠点病院である大阪大学医学部附属病院では、がんゲノム医療センターを設置し、これまでにがん遺伝子パネル検査約200例(2018年10月~2020年3月)の解析を実施しています。エキスパートパネルを含め、自院で完結するがんゲノム医療を達成しており、全国的な体制構築や人材育成にも貢献しています。
慶應義塾大学病院では、がんゲノム検査をより簡便で安価なスクリーニングとして樹立することを目指し、がん組織のFFPE(ホルマリン固定パラフィン包埋)検体を使用した臨床研究を行いました。その結果、5万円以下の費用かつ1カ月程度の検査期間で、従来の方法に劣らない精度で遺伝子変異を検出でき*、スクリーニング検査としての有用性が評価されています。
がんゲノム医療において薬剤などの治療法選択に至るためには、膨大な情報を扱う必要があります。前述の通りエキスパートパネルに大きな負担がかかるため、期待されるのがAIの導入です。AIが医学的文献などのデータを蓄積し、ゲノム情報などの患者さんのデータと照らし合わせることで治療選択を支援する、そんなシステムが想定されています。たとえば東京大学医科学研究所では、所有するスーパーコンピューター「Shirokane3」を使用したシステム開発の研究が行われています。
西原広史:泌尿器科医必見! がんゲノム医療の基本と応用 がんゲノム診断の未来.泌尿器外科 36(3):241-246,2023(*)
石岡千加史ほか:総合討論―がんゲノム医療の課題―.癌と化学療法 49(9):1014-1017,2022
がんゲノム医療センター|大阪大学医学部附属病院
がんゲノム医療・遺伝子診断について|慶應義塾大学
まとめ
がんゲノム医療の現状と課題、最近の取り組みについて紹介しました。ゲノム医療の普及率はまだ高いとは言えないものの、今後のがん治療において大きな役割を果たしていくことに疑いの余地はありません。今この瞬間も研究開発が進められ、技術のさらなる進歩が期待されます。がん治療に新たな柱が加わる日は、そう遠くないのかもしれません。
執筆者:Dr.Ma
2006年に医師免許、2016年に医学博士を取得。大学院時代も含めて一貫して臨床に従事した。現在も整形外科専門医として急性期病院で年間150件の手術を執刀する。知識が専門領域に偏ることを実感し、医学知識と医療情勢の学び直し、リスキリングを目的に医療記事執筆を開始した。これまでに執筆した医療記事は300を超える。
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